なんつーか、大げさな見出しを書きましたが…
オリンピック 野球 日本代表 に選ばれたGG佐藤。
準決勝、3位決定戦で まさかの連続落球。
ってことで、ここから見る人間論?
まあ経緯としては――
準決のトンネルから端を発し、落球。
3位決定戦でも落球。
それが直接の原因で敗退とまでは言わないが、敗戦に大きく関わったと
言わざるをえない。
そもそも分岐点は、準決勝のトンネルに問題がある。
まあ、あの舞台で緊張してエラーってのをやるのはどうかと思うが、
それは『運』みたいなモノもあるので置いておくとして、
(プロなんだから、プロなんだから! とかは言わないで……)
あの失敗から、佐藤はどうなっていったのか?
おそらく、彼の中でも『失敗した』って感覚はあったに違いない。
では、その後どうすれば準決勝7回ウラの落球が防げたのだろうか?
個人的に考えると――
野球をやっていると、トンネルってのは結構起こる。
(大切な場面、急いでバックホームしたいとか、ホームゲッツーとか)
でも、本人はもちろん罪悪感があっただろう。
しかし、まわりはきっと「どんまい。きにするな」となっていたはず。
この言葉を、どれだけGG佐藤は まにうけたのか?
この辺が問題。
もちろん、失敗をとがめず、気落ちした人を励ますことは重要だが、
それは、大前提として失敗に落ち込み、悩み、考えが後ろ向きになっている
人に有効なんだと思う。
だが、きっと佐藤はこういうことに「慣れ」みたいなモノを感じていたと思われ…
それは、国際大会だとかリーグ戦だとか少年野球だとか……舞台は関係なく、
そして、他人事であれ自分のことであれ、野球バッカしていればやっぱり
良くあることなのだから……
ってことで、彼はイイ意味でも悪い意味でも
「気持ちの切り替え」が早い段階で出来ていたんじゃないか? と思う。
こう書くと、だったらなぜ? 再びの失敗「落球」につながるの?
ってなるのだが、コレは簡単。
自分の失敗が、どこから来たのか? 今内面的に、肉体的にどうなのか?
そう言ったコトを「棚上げ」にして「次、次。終わったことは仕方ない」って
感じになっていたから、つまらない落球なんかしたんじゃないか?
「終わったことは仕方ない」って結論に行き着くのが早すぎたんだよ。
だから、また大事な場面でボールが飛んできたとき、恐怖が襲う。
(恐怖って言葉があってるか? 解らないけど)
失敗を考えず、棚上げにし、乗り越えていなかったコトを
ボールが来てからやっと思い出すんだ。
その結果、体は固まりグラブに一度入ったはずのボールを落とすハメになる。
失敗なんて誰にでもある。だけど、それを客観的に分析し、
再び、同じ失敗を繰り返す可能性を1%でも減らす努力をする。
そう考えられるまでの時間は、人によって違うのかもしれないが、
日本代表なんだから、今日の3位決定戦までには間に合わせて欲しかった。
まあ、GG佐藤の場合、失敗に悩んでいたか?すら疑問だし。
ただ単純に、落ち込むだけ。
「あーなんてコトしてしまったんだオレ」って感じだけだった気もする。
そこに、誰かさんの「終わったことにクヨクヨするなっ! 気合いじゃ」みたいな
体育会系熱にほだされ、自分を見つめ直せなかったのかな?
人間、失敗したときが成長のチャンス。
それを真摯に受け止め改善策を考える。
それは、すっごく難しいことだ。
自分のダメなところを見つめるってコトだから。
でも「人は何歳になっても成長できる」ってそう思うなぁ〜
こう考えると―
大人になると、失敗や出来ないことに
「目を瞑ったり」「別に出来なくても困らない」とか開き直ったりするから
成長しないのかもね。